「・・・なぁ、本当にいいのか?」
「・・・いいよ?別に」
「もう絶対、戻ることはできないんだぜ?」
「・・・わかってるわよ。」
「・・・・ったく、この職業も楽じゃないぜ」




赤い髪の天使はそう言って、目の前にある大きな扉を開けた。
扉の先には、白い光へと吸い込まれるように続いている真っ白な階段があった。
この階段を上りきればきっと、貴方が待っている。
いつものような輝く笑顔で、あたしの名前を呼んで。
、愛してる」
そうやって、優しく囁く。あたしの大好きな人。





「・・・なぁお前、本当に、本当にいいのか?」
「っなによ!うるさいわね、いいって言ってるでしょ?」
「・・・じゃあなんでそんな顔してるんだよ」





天使は確信を持った目であたしを見た。
鏡がないから詳しくはわからないけど、あたしの顔はきっと不安な表情をしている。
そりゃそうだ。あたしだって今まで普通に生きてきた人間。
そんな人が今から死のうとするのに、躊躇いや迷いがないわけがない。





「・・・本当に死んじまっていいのかよ。まだまだ残したモノだってあるんじゃねぇの?」
「・・・思いとどまるようなこと言わないでよ」
「思いとどまってんのか?なら、この先は進まないほうがいい。」
「っバカにしないで!」
「バカにする、とかゆう問題じゃないだろ?お前は何の為に死ぬんだよ。愛してる恋人の為か?」
「・・・違う、自分の為」




天使は腕を組んでふぅーっとため息をついた。
あたしは気にせず喋り続ける。




「あの人ナシで生きてくなんて考えられない。生きてく意味なんてないよ」
「へぇ?」
「・・・なによ、その反応」
「・・・じゃあお前、あの人に会うまではどうやって生きてたんだ?」
「・・・え」
「もちろん生きてる意味なんてねぇって思ってたんだろ?それならなんでその時死ななかった?」
「違う、あの人と出会って変わったのよ!」
「そうか。じゃあ、今のお前の考え方もこれから変わるかもな」
「っ!」




あたしが黙ると、天使はあたしの頭にポンと手を置いた。





「誰かの言葉の受け売りだけどさ、人生何があるかなんてわからないんだぜ?」
「・・・わかるわ。見えるのは絶望だけの毎日よ」
「・・・はぁ。ここまで言ってもわからないのか」





手を戻し、腕を組んで溜息をついた。
あたしが見つめると、天使はやれやれと言ったように語り始めた。




「じゃあな、お前。“あの人”が最期になんて言ってたか・・・覚えてるか?」
「・・・『ありがとう』」
「その言葉はな、今までお世話になった人に向けて使う言葉だ。」
「・・・だから?」
「この言葉は、いわゆるピリオドだ。終止符なんだよ。」
「・・・」
「終止符を打って、また何かが始まっていく。これが生きるってこと」
「終止符を打って、始まらなかったら・・・」
「そう、それが死ぬってこと。“あの人”は、最期にお前だけに向けて終止符を打ったんだ」



今までよりも真剣なまなざしで、天使はあたしを見る。





「果たして“あの人”は、お前と一緒に天国に逝きたいって願ったと思うか?」
「・・・」
「『ありがとう』この言葉は、別れの言葉なんだよ。」
「・・・でも、きっとあたしがいなくて寂しがってるわ」
「寂しがってる、なんて誰がわかる?それは、単なるお前のエゴだろう?」
「・・・あたしが寂しいの」
「ああ。けど、その人の分まで生きてやるってのが恋人としての最後の役目じゃね?」





天使はそう言うと、ふわっと背中の白い翼で舞い上がった。
腕を組みながら、あたしを見下ろす。




「ここまで言って、それでも逝くってならどうぞ?進めばいい。

思いとどまるなら、まだこの階段は登らなくていい。

いいか?この階段は、上ることはいつでもできる。が、下りることは一生できない。

考え直せ。お前が本当にしたいことを考えろ。

大丈夫、人生嫌なことばっかりじゃないぜ?」




最後ににっこりと笑って、あたしを見据えた。
あたしは天使の笑顔と階段を交互に見て、自分の心に問いかけた。
今、本当にしたいことは何か。
そして、あの人の為にできることは何か。




「・・・ねぇ、天使」
「ん?」
「あたし、もうちょっと生きてみる。あの人の分まで。精一杯」
「そりゃ良かった。まだ寿命じゃない命を見送るのは、天使としても一番嫌な仕事なんでな」
「・・・ありがとね」
「・・・その言葉は、俺とお前の間に対する『別れの言葉』だ。」
「別れの・・・」
「お前が寿命になって、またこの扉の前に立つ日まで。しばしお別れだ。」
「・・・そうね。・・・あ、最後に一つだけ、いい?」
「なんだ?」
「あなたの名前・・・何?」
「・・・丸井ブン太」
「あら、意外と普通な名前なのね。天使っていうんだから、もっとカッコつけた名前かと思った」
「バカ言ってんじゃねぇよ、俺だって普通に人間だったんだから」




ブン太の言葉に目を見開く。
するとブン太は少し悲しそうな笑顔を浮かべた。




「自殺した人間は、その罪が許されることは絶対ないんだ。」
「自殺・・・って、あんたまさか」
「・・・。違う人間として生まれ変わることは決してできない。」
「・・・」
「俺のこの魂はずっとココにいて、俺は天使としてずーっと門番をやってくんだ」




心臓の部分を指でトントンと叩いてから、ブン太は上から下りてあたしの前に立った。




「さっ、質問はもう終わり!帰れよ、自分の世界に」






ブン太はムリヤリ笑顔を作ってあたしの背中を押した。
あたしは一回よろめいてから、ブン太をもう一回振り向いた。
ブン太は首を横に振ったので、あたしはまた前を向いて歩いて行った。
扉が大きな音を立てて、ゆっくりと閉まっていった。






「・・・ブン太、本当にありがとう」





きっと、あたしがお婆ちゃんになって天に召された時、あたしはまたブン太に会うんだろう。
ブン太は変わらない風体で、またあたしを出迎えてくれる。
そして今度は自殺の意味じゃなく、寿命で、あの真っ白な階段を上るんだ。
その時こそきっとブン太は、暖かい笑顔で見送ってくれるんだろう。







Stairs to heaven



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