安積山(あさかやま)・後編




















ブン太は、その時はただ無心だった。
無意識に、姫を奪い去ったのだ。
時が過ぎてから事の重大さに気づき、一回王宮に戻ろうともした。
だが、今王宮に戻れば、必ず重い刑が科せられる。
罪を償うのに躊躇いはなかった。自分は死ぬつもりだったのだから。
ただ、ここまでして奪い去った姫を、何もしないで帰すとゆうのは納得ができなかった。




ブン太は馬を一晩中走らせ、故郷に戻ってきた。未だ姫は目覚めない。
幸村の家の戸を叩き、幸村を呼び出した。



「精市、手を貸して・・・くれないか」
「ブン太!?・・・その御方は、」
「姫だ。愛しすぎて奪い去ってきてしまった。」
「それは「いけないことだとわかっている!だが、だが・・・止められないんだ」



後悔が顔に浮かぶ幼馴染を見て、幸村は覚悟を決めた。
ブン太はもう、ただの犯罪者まで成り下がってしまった。
だが、犯罪者になってまで姫を奪いたいと思った彼の本気に、幸村は納得するしかなかった。



「わかった。どうせ、ブン太のことだ。これからの予定なんて立ててないんだろう」
「精市・・・!すまねぇ、ほんと・・・すまねぇ」
「いいさ。それよりまずは、ここから移動した方がいいだろう。そうだな・・・安積山の方はどうだ?」
「あさか・・・山?」
「ほら、見えるだろう?あの大きな山だ。あそこに庵でも構えて、姫様と暮らすといい」
「暮らす・・・!?違う、俺は姫と暮らしたいなんて恐れ多いこと・・・!」
「なんだ、違うのか?じゃあ、姫をここまで奪い去ってきて、どうするつもりだった?」
「・・・恥ずかしい話だが、一度姫を抱いてから、俺は身投げでもしようと・・・」
「大バカ者だな、お前は。」



幸村は苦笑いをした。



「愛しているんじゃないのか、この姫を。なのに、抱くだけで良いと?幸せにさせたくはないのか」
「・・・したい。だが、ここは王宮ではないし・・・」
「自分を愛してくれるものがいる。これだけで、幸せだと俺は思う。違うか?」
「・・・」
「いいか?俺の言う通り、安積山へ行け。お前は、月に何回かここへ来て、食糧を補給するといい。」
「幸村・・・」
「そして、姫と一緒に幸せに暮らすんだ。・・・愛しているんだろう?」
「・・・・・ああ。」




ブン太は腹をくくり、食糧を幸村から貰い、安積山へと馬に乗って駆けだした。

安積山へ着くと、幸村に言われた通り庵を作った。
2人が充分暮らせる、比較的大きな庵だ。
そうこうしているうちに、姫のまぶたが開いた。




「・・・ここは・・・」
「・・・姫」
「・・・そなた・・・?ぶっ、無礼者!!!」
「手荒なことは致しませぬ故、どうか落ち着いてください」



起きて早々、自分を攫った男が目の前いるのだ。
姫はブン太とある程度の距離を取り、警戒しながら話を聞こうとする。



「姫様、私は丸井ブン太と申します」
「・・・それは知っているわ。それより、ここはどこ?なぜ私を攫ったの?」
「ここは安積山でございます。私は、姫様をお慕い申しておりました。」



まさかの告白に、姫は一瞬思考停止する。
どうやら、告白されたのは初めてのようだ。桜のように頬が染まる。



「し、慕うなど・・・!な、なぜ!」
「私もわかりません。ですが・・・とても、愛しているのです。姫様を。」
「私を・・・」
「ですが、身分が違うのでもちろん恋い焦がれることなど禁じられております。そうして気がついた時には、姫様を攫っていました。」
「・・・」
「許されないとはわかっています。ですが、どうか・・・どうか!私と共に生きてはくれませんか・・・!!」



ブン太は、泣いていた。
好きだった。ただ、姫のことが好きなだけだったのだ。
こんな大事になるなど考えてもいなかった。
ただ、狂っているほどのブン太の姫への愛が、彼を犯罪者へと変えた。
そんなブン太の様子を見て、姫はブン太の肩に手を置く。



「・・・私は、生まれてから一度も王宮の外へ出たことがありませんでした。」
「姫・・・」
「皆慕ってくれているのはわかっていました。ですが、それは『』を慕っているのではなく、『姫』である私を慕ってくれているような気がしてなりませんでした。」
「・・・」
「それでもあなたは、この私を・・・『』を、愛して下さると言うのですか?」
「・・・っはい!」
「富も権力もないただの女である私を、愛すと仰るのですね?」
「はい!」




ブン太は真っ直ぐ姫の目を見てそう答えた。
姫はスッと立ち、ブン太へ笑いかける。



「この度の無礼は許します。そして・・・私と一緒に、暮らしてくれますね?」
「・・・もちろんですっ・・・・!!」




そうして、ブン太と姫は一緒に暮らすことになった。
いつしかブン太の最初の野望はどこかへ消え、姫と一緒に時を過ごすことで全てが満たされていた。
姫も、真っ直ぐ自分だけを見てくれるブン太に幸せを貰っていた。
いつの間にか姫もブン太のことしか考えないようになり、一ヶ月経たないうちに2人は恋に落ちていた。
そしてそれから半年が経ち、2人だけの結婚式を挙げた。
2人はこれからも幸せに暮らそうと、笑いあってそう誓った。
そして子供も身ごもった。2人は本当に幸せだった。




「じゃあ、行って来る」
「ええ。気をつけてね」
「ああ。・・・あ、何か欲しい物はあるか?」
「そうね・・・お米が食べたいわ」
「わかった。取って来よう。・・・あ、今回は天候が悪いらしいな。早く帰れないかもしれない」
「わかったわ。1人で待っているわね」



いつものようにブン太は、食糧を調達しに町へ降りた。
そしてもいつものように庵で夫が帰るのを今か今かと待った。

-

「そういえば・・・最近散歩もしていないわね。」



身ごもってから、ろくに外を歩いたりもしていない。
はそう思い、体をゆっくり動かして外に出た。
大きく深呼吸をして、新鮮な空気を体に入れる。



「ブン太も遅くなると言うし、遠出でもしようかしら」



山の中を、自分のペースで歩いていった。
大自然の中を1人で歩くのは、とても気分がよくなるものだ。
そう思っていると、水の流れる音が聞こえた。近くに川があるのだろうか?
はその音に近づいていった。




























久しぶりに見た幼馴染を見て、幸村は驚いた。
前々回来た時よりも前回、前回来た時よりも今回。確実に、ブン太は衰弱している。
それはやはり、山でずっと暮らしているせいだろう。
着ているものも毎日同じだし、髪だってボサボサしている。
それに充分な食事もしていないと見える。幸村はとうとう心配になった。



「・・・久しぶりだな、ブン太」
「ああ、精市!」
「・・・そろそろ、町の方に出てきたらどうだ?山籠りはつかれるだろう」
「疲れる?全然だ!が傍にいてくれるだけで、俺は幸せなんだ。」



満足そうに、ブン太は笑う。その笑顔でさえ、とても幸せそうには見えない。



「お前、鏡は見たか?」
「鏡?馬鹿かお前、山に鏡なんてあるわけないだろう?」
「・・・見せてやるよ、お前の姿。」



そう言って幸村は、水瓶に水が張ったものを持ってきた。
その水で、ブン太の姿を映してやる。



「・・・なんだよ・・・これが、俺・・・?」
「ずっと気付かなかっただろう?・・・今のお前、化け物みたいな顔してるんだよ」
「で、でもは何も変わってなくて・・・っ!」
「幻でも見ているんじゃないか、ブン太。なぁ、何かにとりつかれたんじゃないか?」




ブン太は自分の両手を見た。
そうだ、自分もこんなに衰弱しているならば、も相当弱っているに違いない。
でも、じゃあ、今まで俺が見ていたは?
輝くまでに美しいは、今頃どうなっている?
そして、なぜ今までそれに気付かなかった?



「・・・気づけ、ブン太。お前は今すぐ姫と一緒に山を下り、俺の元へ来い。」
「いやだ・・・」
「え?」
「そうしたら・・・また、王宮の奴等が追ってくるかもしれない・・・」
「もう昔のことだ、忘れられてるさ!」
「いやだ・・・いやだいやだいやだっ!!!!」
「ブン太っ!!!」




発狂して、ブン太は馬にまたがり山へ帰っていった。
このままだと、ブン太と姫の命が危ない。そう思った幸村は、すぐその後を追った。
































「まぁ・・・小川だわ」




小さな川が、さらさらと流れていた。
そして岩に挟まれた水が、小さな井戸のようになっている。



「近くにこんな川があったなんて、知らなかったわ。」




その井戸を覗き込むと、は一瞬怯んだ。
世にも恐ろしい老婆のようなものが見えたのだ。
だが、それが自分の姿であることを知るのには、時間はかからなかった。



「なんてこと・・・・これが私・・・」



は絶望した。自分とは思えないほどの自分の姿に。
それと同時に、昔のことを思い出し始めた。
王宮には、自分を愛してくれる父が居て、母が居て、兄妹たちが居て。
従者たちも自分のことを慕ってくれた。
あんなに、幸せに暮らしていたのに―――――



ブン太のことは愛していた。だが、とてつもない恐怖に襲われた。
このまま、この山で、2人だけで過ごしていくのか・・・
この老婆のような姿を愛するブン太に晒しながら、生きていくのか・・・
そう思うと、とても恥ずかしくてならなかった。





ひとり庵に帰ったは、悲しかった。
未だ帰って来ない夫を待つのも、もう苦しい。
は、目に入った刃物を自分の心臓に突き立てる。




「・・・私は幸せでした。ですが、どこで間違ったのでしょう・・・」



目を瞑ると、自然と一筋の涙が流れだした。




「愛していました。愛されていました。愛し方を、間違ったのでしょうか」




「・・・    」




そのまま刃はの心臓に深くささり、が息をすることはもうなくなった。





ブン太が家に着いたのは、それから三時間後のことだった。









・・・・・・?」





家に入ってすぐ目に入ったのは、愛するの死体。



「・・・なんで、なんで、なんで・・・・!!!!!」






の動かなくなった体をきつく抱きしめ、狂ったようにの名前を叫び続ける。
ひとしきり泣いた後、放心状態のブン太はを刺した刃物をから抜き取り、それを自分の心臓に深く刺しこんだ。
そしての体に重なるように倒れたかと思うと、そこから動くことはもうなかった。




























「・・・俺が安積山に行けなど言わなかったら、彼らはこんなことにはならなかったかもしれない。」






幸村は、庵の中の夫婦を見てそう呟いた。
夫婦はもう、死んでしまっている。
後悔の涙だけが頬を伝わる。





「・・・ブン太・・・姫様・・・・・・・・申し訳ない・・・」




そして幸村は、二人を埋葬した。
二人が安らかに眠れるように、そして今度生まれ変わった時にはちゃんと幸せな人生が送れるように天に祈った。
身分の違いなどで、恋愛が妨げられないように。
そんな時代になることを、心から祈った。









「愛し方が、間違っていたかもしれない。・・・けれど彼らは幸せだった。そう信じている―――」








幸村は天に向かってそう呟き、安積山を後にした。




































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