あたしは、人と深く関わるのが嫌いだった。
そんな孤独な暗闇の中で、1人の少年と出会った。












メカニカルパレード











それは、肌寒い風が肌を掠める冬の日だった。
マフラーと手袋無しでは少々キツいこの気候、神奈川では珍しい様に感じた。
だって、この寒さではすぐ雪が降ってきそう・・・そして、降ったら積もりそうな寒さだから。
あたしは、普段も歩き慣れた街道を松葉杖でゆっくり滑らないように歩いた。
あたしは生まれつき足が弱く、小さい頃は普段は車椅子、時々松葉杖で生活していた。
けれど、体と心が成長してゆくに連れ、周りの優しさは同情を含んだ眼差しなんだということに気づき、それから他人の力は借りたくなかったので、ほとんどのことを自分一人でやれるようにと松葉杖での生活へと切り替えた。
足が弱いと言っても、立てないほど悪いわけではない。松葉杖で用は足りる。
でも小さい頃のあたしは、周りが優しくしてくれるのは自分のことが好きだからとゆう勘違いをしていた。だからこそ、車椅子という日常ではめったに使わないものを使っていた。
自分がそんなに人から好かれていないのを気づかないように、心の奥底で松葉杖の生活を拒否していた部分もあると思う。
すると、プシューッとバス特有の音が聞こえた。目的地へと運んでくれるそのバスは、あたしの目の前で停まる。
考え事をしていたら、いつの間にかバス停まで着いていたようだ。あたしはそのバスに乗った。



バスの中は、そこまで混んでいなかった。平日の昼だからだろうか。客は少ししかいない。
けれど、その少しの人数でさえ、一瞬でもあたしを見た。
・・・いや、あたしを見たわけではない。あたしの抱えている松葉杖だ。
車椅子ほど目立たないものの、やはり目新しいものは目立つらしい。
あたしはその視線をわざと気にしていないようにして、前らへんの席に座った。
そして鞄から携帯を取り出して、特に用はないんだけれどデータボックスに入っている写真を何回も見ていた。
ちらっと視線を携帯から外すと、外では雪がちらちらと降っていた。
やっぱり、今日は降ると思った。
携帯をパタン、と閉じて、そのまま鞄に入れ直した。




『―――テニスコート前』
アナウンスがそう繰り返す。あたしはボタンを押して、バスが止まらないうちに立った。
プシューッとバスが唸ると同時に、あたしはお金を入れた。
そしてそのまま地面に降り立とうとした・・・が、それは叶わなかった。
ステップの一番最後、それを降りればちゃんと地に足が着いたはずだったのに。
こともあろうことか、松葉杖がバスの金具にちょん、と引っ掛かった。
たったそれだけのことでバランスを崩したあたしは、前のめりになってしまう。
これは、顔からいっちゃうな。
あたしはそう思って目を瞑ったけど、なぜか来るはずの衝撃がない。
それもそうだ。あたしを後ろから抱きしめるように、腰に手を回している腕があたしの体を支えたから。
その腕によって体勢を立て直され、あたしは地面に足をつけることができた。
驚いてうしろを振り向くと、その腕の持ち主と思えるジャージを着た少年がお金を払っていた。
そしてあたしと同じようにバスから降りると、あたしと目も合わさず無言で立ち去ろうとした。



「・・・あ、あのっ」



あたしがそう声をかけると、少年は耳からイヤホンを外し、冷たい目をしてこう言った。



「お礼とかいいですから。本当は、ありがたいなんて思ってないんでしょう?」



にっこりと笑ったはずなのに、その笑顔はなぜか凍りつきそうなほど冷たかった。
それはきっと彼が放った言葉と、寂しさに似た何かを彼から感じ取れたからだと思った。
少年はそのままイヤホンをつけ直し、テニスコートの方へと歩いていった。
そういえば、あの少年はなぜ学校のジャージでテニスバックを背負ってこんなところにいるのだろう?
平日の昼って言えば、学生は勉強に励んでいるはずだよね?
あたしは疑問に思ったが、彼にはなぜかもう近付きたくなかった。
だがあたしの願いも虚しく、なぜか彼とあたしの目的地は一緒。仕方なく、彼のうしろを尾行するように歩くことになる。
しばらく歩くと、ぴた、と少年の歩みが止まった。
つられてあたしの足もぴた、と止まってしまう。
止まった瞬間、とても後悔した。少年はあたしを振り向いて言う。



「・・・そんなに俺が気になりました?」
「・・・え、いや、そんなことは・・・」
「どうでもいいですけど、ついてくんのやめてもらいます?」
「そ、そんなこと言ったってあたしもこっちに用があんのよ」
「へぇ・・・足が悪い人が、こんなところへ何のお用事ですか?」



いちいち彼は、反抗的にそう言う。
嫌味ったらしく、皮肉っぽく言うのだ。



「あんたには関係ないでしょ。それより、あんたこそ何してんのよ。学校は?」
「それもあなたには関係ない」



少し、口調がキツくなった。何か、言ってほしくないことを言っただろうか。
あたしがそう考えているうちに、いつの間にか彼はまた歩き出していた。
あたしも納得いかないけれど足を動かし、目的のテニスコートへ向かった。







このテニスコートは、中学生や高校生の大会が行われたりするテニスコートだ。
だが、平日の昼や夜などは、一般のために開放されている。
開放されていると言っても、利用するには料金がかかるのだが。
あたしは20歳くらいの男女が打ちあっているコートの近くにあるベンチに座って、彼らを眺めた。
小さい頃から足が悪かったんだ。当然、スポーツなんてできっこない。
もしかしたらできるかもしれないが、それ以前に親に止められた。
あたしも、特にそれで構わないと思った。
けれど、なぜかあたしはわざわざこのテニスコートに出向いている。
理由はただひとつ、やってみたいんだ。スポーツを。
だけど、こんな状態でスポーツなんかやったら、周りの人がどう反応するかは分かっている。
大丈夫ですか?やめたほうがいいんじゃないですか?手を貸しましょうか?
周りの人に迷惑をかけたくない・・・これは偽善者の言う言葉。
本心は、そんな同情なんてかけられたくないだけなんだ。
自分のことは、自分がやるから。あたしは1人でも生きていけるんだから。



ふと視線の端に、さっきの少年を捉えた。
あの会話からテニスコートに着くまで一言も交わさず、まるであたしと会話したことなど一回もない、と言うような他人のそぶりをして平然とテニスコートに入った。着くなりどっかへ行ってしまった彼を、あたしは特に追いかけなかった。
追いかけるつもりもないし、彼も追いかけてもらうつもりなんてないんだから。
そんな彼がコートのうしろに立ち、肩に背負っているテニスバックを右手で掴みながら、ただただコートを見ていた。
誰もいないコート。
彼の目には今、何が見えているのだろう?
じーっと彼を見ていると、彼は突然顔をあげた。
当然あたしと目が合うことになり、あたしは少し心臓が跳ねあがる。
彼の顔はなぜか、悲しいような、やるせないような表情だった。
そして数秒見つめ合ったあと、彼は視線を外して出口へ向かった。
あたしは何を思ったか、なぜか彼を追いかけていた。
急に立ったせいか、足が痛む。けれど、松葉杖を無理に動かして、早足で去ろうとする少年へ向かった。
一瞬、体が浮いたような気がした。これは、あたしが何回も感じたことのある感覚。
この感覚があった後は、必ず転ぶ。
あたしは、前に派手に転んだ。
コート中の視線が、あたしに注がれる。
立ち上がろうと腕を地面についてのばすと、顔の前に手が差し出された。
顔をあげるとそこに、遠くにいたはずのあの少年がいる。
あたしは素直に手を借りて、立ち上がった。
テニスコート中の視線はいつの間にか、あたしには注がれていなかった。



「・・・自分だけが、不幸みたいな顔しないで下さいよ」
「・・・え?」
「・・・そうゆうの、見てて腹立つんだ」



彼はそう言い放って、あたしの手を乱暴に払いのけて出口へと歩いていった。
あたしは、今度は転ばないように急いで彼を追いかける。
そして彼の左手を掴み、息を切らしながら言う。




「っありがとう!」
「・・・・だからお礼とかはいらないって・・・」
「でも、あたしはありがたいと思ったの。」



彼は、眉をひそめながらじっとあたしを見つめた。
距離が近かったせいもあって、あたしは視線を反らしてしまう。
すると視界に、彼のテニスバックに入っている写真が目に入った。
それを見たあたしは、真っ直ぐ彼を見つめ返す。



「誰でも、ある程度の親切さがあれば、障害者には優しくしてくれる。誰でもね」
「でもそれが嫌なんだろ?自分だけが特別扱いされてるみたいで。だったらありがとうなんて言わなくてもいいんだ。」
「嫌よ?けどね、現にあたしはその人に助けられるの。その人がいなかったら、あたしはもっと嫌な目に遭っているわ。だから、素直に感謝を述べたいのよ」
「ふざけんなよ。自分は助けてもらいたくないのに、勝手に周りの人が助けたんだよ?」
「でも、実はあたしは心の底では助けてほしかったのかもしれない。いくら一人で過ごせるって言っても、やっぱり周りの手助けは必要なのよ。」



そうあたしが答えると、彼は言葉につまった。
自分にも思い当たる節があるのだろうか。



「っ足が悪いってだけで、なんでそんな特別なんだ。何が他の人と違うんだよ?」
「何も違わない。みんな同じ人間だもん。」
「だったら何で・・・!」
「あのね、あたし思ったの。みんな、“あたしが足が悪いから助けてくれる”わけじゃないって。」
「・・・?」
「そうだな・・・あなたは、もしあのバスで、あたしじゃない“普通の人”があたしと同じようにバスから転び落ちそうになってたら、どうする?」
「どうする、って・・・」
「・・・きっと、助けてたと思うの。あたしの足が悪くなくたって、きっとあなたはあたしを抱えてくれたわ」
「・・・」
「同情は嫌い。それでも人はあたしに力を貸してくれる。あたしが望んでいなくても。でもそれは、人間として当たり前の事。それが、“人間の優しさ”だと思う。でもあたしは・・・今までそれが“人間の優しさ”だとは思わなかった。自分の足が悪いから、みんな特別扱いしてあたしだけに優しいと思っていたの。“障害者への優しさ”だと思っていたの。でも、そんなことない。人間は、どんな人間にも優しいものなのよ。」
「・・・」
「・・・ねぇ?何悩んでるのか知らないけど、きっとあなたの周りにいる人は、“障害者への優しさ”のような同情なんかであなたの周りにいるわけじゃないはずよ?みんなきっと、“人間の優しさ”をちゃんと持っている優しい人たちなんでしょう?・・・自分だけが不幸なんて思わないでよ」



あたしはさっき彼が言った言葉を繰り返し、テニスバックから覗く写真を指差した。
その写真には、彼と思われる人物を中心に、多くの少年たちが笑いあって集まっている。
そして彼の手には、しっかりとテニスの大会の優勝カップが握られている。
写真に写る彼は、心の底から嬉しそうに笑っていた。
その笑顔と、彼が今ジャージの下にパジャマを着ているのを見て、彼の状況がわかった。
きっと、今まさに彼は入院をしているんだろう。多分、彼は病院を抜け出してきたんだ。





「・・・俺、は・・・」
「この写真の笑顔、さっきの作り笑いより全然いいわよ?」
「・・・・ごめんなさい、俺・・・」
「ん?」
「・・・謝りにいかなきゃ。この前、親友にとても酷いことを言ってしまったんだ」



彼は、一粒の涙をこぼしたあと、笑ってそう言った。
さっき見たような冷たい、そして悲しい笑顔ではなく、写真と同じ様な笑顔。
写真に写るそれとは違う、少しいたずらっぽい笑顔。
だけどその笑顔には、彼の本当の気持ちが隠れているような気がした。
少年はそのまま、走ってバス停に向かった。
































幸村は、入院するまで毎日通っていた部室へと足を踏み入れた。
まだ授業が終わったばかりなので、そこにいたのは副部長だけだった。




「・・・真田」
「・・・幸村!?もう、退院したのか!?」
「・・・明日、正式に退院する。苦労かけたな」
「いや、大丈夫だ・・・」



真田は、帽子のつばを少し下げた。表情が見えないようにしているらしいが、嬉し泣きしているのはバレバレだった。



「待ちきれなくて、病院抜け出して来ちゃったよ」
「今まで、どこにいたんだ?」
「テニスコート。」
「・・・・」
「・・・なぁ真田、お前が見舞いに来てくれた時・・・俺、怒鳴っちゃっただろ?テニスの話はするな、ってさ」
「ああ、あれか・・・」
「本当にごめん。俺、あの時わけわかんない不安に押しつぶされそうになってて。俺にはテニスがないと生きていけないって思ってたのにさ、真田達は俺がいなくても試合には勝ったとか言うし。・・・正直、俺なんか必要じゃないんじゃないかって思ったりもしたんだ。」
「そんなことは!」
「わかってるよ。真田が、そんなつもりで言ったわけじゃないってことは。だけど、俺は弱かったから。なんで俺が、こんな目に合わなきゃいけないんだってずっと思ってた。しかも、真田たちもきっと俺に気をつかって一緒にいてくれてるんだ、これは同情なんだ、って思ってたんだよ」
「幸村・・・」
「でも、それは間違ってたんだってさっきわかったんだ。本当にごめんな、真田。」




幸村は、そう言って昔のように笑った。




















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